大学進学・就職 本校卒業後の進学データ、卒業生の「今」をご紹介します。
大学進学結果
- 2024(令和6)年度(PDF, 242kb)
- 2023(令和5)年度(PDF, 242kb)
- 2022(令和4)年度(PDF, 273kb)
- 2021(令和3)年度(PDF, 183kb)
- 2020(令和2)年度(PDF, 263kb)
- 2019(令和1)年度(PDF, 296kb)
卒業生の今
世界各国で活躍する卒業生の「今」をご紹介します。(ご職業等は公開日時点におけるご本人提供情報です)
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2025.04.03
遠藤 恵太(2009年3月卒業・16期)
早稲田大学法学部卒。新卒で竹中工務店に入社。参天製薬の人事本部に転職以後、人事職のキャリアを重ねる。
現在は小野薬品工業にて人事システム戦略を担う。
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2025.04.03
工藤 輝久(2014年3月卒業・21期)
熊本大学工学部卒業後、大阪大学大学院工学研究科へ進学。修了後、株式会社クラレ勤務。
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2025.04.03
石塚 亜紗美(旧姓:佐藤)(2002年3月卒業・9期)
北海道大学理学部化学科及び北海道大学大学院理学研究科化学専攻卒業(修士課程)。
ファスナー最大手YKK株式会社の研究開発職として勤務。
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2025.04.03
大竹 竜史(2025年3月卒業・26期)
早稲田大学創造理工学部環境資源工学科卒業。同大学院 修士課程へ進学。卒業後、伊藤忠商事株式会社勤務。
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2024.10.07
加藤 史矩(2007年3月卒業・14期)
早稲田大学法学部からロースクールを経て、弁護士(日本・ニューヨーク州)に。シンガポールにある法律事務所に勤務。
シンガポールを中心にアジアで展開する日系企業の企業活動を、法的側面からサポート。
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2024.10.07
景山 潮(2008年3月卒業・15期)
東京大学工学部からNHK(日本放送協会)。ディレクターとして、Eテレで子供番組や多様性をテーマにした番組を制作。
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2024.10.07
須貝 京佳(2017年3月卒業・24期)
早稲田大学法学部へ進学。在学中、北京大学国際関係学院に留学しダブルディグリーを取得。卒業後、キリンホールディングス株式会社勤務。
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2024.10.07
中口 理菜(2015年3月卒業・22期)
早稲田大学スポーツ科学部に進学。卒業後、全日本空輸株式会社。現在日本貿易振興機構(JETRO)に出向中。
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2025.04.03年齢・国籍問わず、人の成長に携われる仕事に大きな魅力
遠藤 恵太(2009年3月卒業・16期)
早稲田大学法学部卒。新卒で竹中工務店に入社。参天製薬の人事本部に転職以後、人事職のキャリアを重ねる。
現在は小野薬品工業にて人事システム戦略を担う。
人事×ITを掛け合わせた新領域で経験を積む毎日
人事システムの戦略企画、運用の仕事を担当しています。簡単に言うと、人事とITを掛け合わせたような仕事で、世界中の社員のデータを管理し、それを活用した人材戦略を担う仕事です。世界中の人事担当者とやりとりしながら、日々進化するITをどのように掛け合わせて実現するかを考える、刺激的で楽しい毎日を送っています。年齢や国籍問わず、人々の成長、活躍に携われる人事の仕事に魅力を感じ人事領域の経験を積んできましたが、そのなかでも比較的新しい人事システムの領域に面白さを感じ、日々スキルを磨いています。ほぼ毎日自宅で仕事をしており、オフィスに行くのは月に一回程度。パソコンを閉じたらすぐに父親としての仕事の毎日です。
「やりたい」と思った挑戦はすべてやりきった高校生活
良い思い出ばかりで、かなりのびのび、好き放題させていただきました。当時カンボジア勤務の親元を離れて寮生活をスタートし、朝の点呼から始まり日中の授業、放課後の部活・委員会活動、週末のホーカーセンターでの食事含め、すべてが楽しかったです。結果的に、卓球部長、国際交流委員長、寮長を経験させてもらいましたが、「やりたい」と思った挑戦はすべてやらせてもらえました。そして、そういった日々の中での多様な人々との交流の経験が、世界中の人々の成長を支えるいまの人事の仕事に自然と導いてくれたのかなとさえ思います。後輩の皆さんにも、思いっきり過ごしていただきたいなと願います。
自ら調べて自分の意見を持つことの大切さ
「自調自考」の精神はぜひ大切にしてほしいです。日本に戻ると、若くから世界を見てきた皆さんとの周囲との価値観のギャップに必ずぶつかります。良かれと思ってアドバイスしてくれる人もいますが、その通りに行動してもうまくいく保証はありません。みなさんと、見てきた世界、得てきた経験が違うからです。自らの意思で決める、一歩踏み出すというのは、実は難しいことです。しかし、世界の広さを見てきた皆さんには是非、周囲に振り回されず、自ら調べ考え、皆さんなりの意見をしっかり持ち、自信を持って前に進んで行ってほしいと思います。
2025.04.03推薦のみでなく一般受験へのサポートも整った早稲渋
工藤 輝久(2014年3月卒業・21期)
熊本大学工学部卒業後、大阪大学大学院工学研究科へ進学。修了後、株式会社クラレ勤務。
新たな挑戦~研究開発からマーケティングへ~
現在、私はスポーツ&アウトドア領域のマーケティングを担当しています。事業部同士を繋ぐ横串活動や、顧客のニーズに基づいた製品や開発コンセプトの紹介を行っています。世界中のスポーツ・アパレルブランドに、自社の製品や技術を提案するやりがいのある仕事です。大学院では化学を専攻していたこともあり、入社前は研究開発を志望し、入社後も当初は研究開発に従事しておりました。研究開発部時代に「この素材がこんな用途で使われていたのか!」と感銘を受けたことがあります。その経験から、市場に近い環境に身を置き、顧客を身近に感じながら、新規用途や市場の開発に携わりたいと考えるようになりました。そして、現職に至ります。
受験と部活に奮闘した早稲渋生活
私は当時、高校2年生の3学期という、微妙なタイミングで早稲渋に転入したこともあり、時期的に指定校は取れない状況下、受験に対してはやはり不安はつきものでした。そんな中、コンドミニアムの共用フロアで数人と夜中まで勉強したり、大学模試を一般受験組で受験しに行ったことは、とても良い思い出です。必ずしも早稲田などへの指定校推薦だけでなく、一般受験でも合格を勝ち取るための先生方のサポート、環境が整っていると思います。またそれ以外にも、ソフトボール部から試合に出場したり、星蘭祭でバンド演奏を披露したりと、日本の高校でハンドボール部と軽音楽部を兼務していた経験を十分に活かすことができ、勉学共に充実した生活を送ることができたように思います。
2025.04.03研究開発に勤しむ「かっこいいお母さん」
石塚 亜紗美(旧姓:佐藤)(2002年3月卒業・9期)
北海道大学理学部化学科及び北海道大学大学院理学研究科化学専攻卒業(修士課程)。
ファスナー最大手YKK株式会社の研究開発職として勤務。
研究開発と育児の二足のわらじで、ワークライフバランスに優れた生活
元々は分析会社に勤めていましたが、「もっと海外に行ける仕事がしたい」「分析をするには『ものづくり』をもっと知りたい!」という思いがあり今の会社に転職しました。
YKKという会社は世界中に工場があります。もしかしたら早稲渋生の皆さんの中にもご両親がYKKという方がいらっしゃるかもしれません。 会社には様々な人種・宗教の方がおり非常にグローバルな企業です。食堂にはハラル食もあります。また、男性も女性も育休や介護休暇が取りやすく、ワークライフバランスに優れた生活を送ることができます。日々研究開発をしながら夫と2人で育児をしておりますが、子供には「かっこいいお母さん」として映ってくれていたら良いな、と思っています。
高校時代の努力は、素晴らしい人生の糧になる
私は高校2年生の2学期から転入生として入学しました。中学から女子校だったため、転入後、当時の男子の多い理系クラスにビックリ!それでもみんなと星蘭祭で劇をやれたのはいい思い出です。
当時は、世の中的にも今ほど多様性が進んでおらず、「女子なのに勉強で一番取って意味あるの?」と言われたことがありました。一番が大事とは思いませんが、一生懸命勉強した意味、ありましたよ。今は子供と楽しく図鑑を読み、世の中の様々な現象に対して科学的な視点で説明しています。ちょっとだけ理系に詳しいお母さんです。皆さんも、今後どんな職業に就いても、仕事を辞めても、早渋生として頑張ったことがあれば、それは絶対に無駄にはなりません。きっと素晴らしい人生の糧になると思っています。
2025.04.03時代の変遷に商機を見出すフィールドで、環境に調和した金属資源ビジネスを展開
(大竹さん・写真左)
大竹 竜史(2025年3月卒業・26期)
早稲田大学創造理工学部環境資源工学科卒業。同大学院 修士課程へ進学。卒業後、伊藤忠商事株式会社勤務。
世界をより良くする先駆者になるために。
商社の仕事は、時代の変化をチャンスと捉え、より良い社会を実現する先駆者だと考えています。私は総合商社で金属資源ビジネスに取り組む予定です。きっかけは、高校時代のシンガポールで経験した大気汚染「ヘイズ」でした。大気が真っ白になり、呼吸困難になったことを今でも鮮明に覚えています。以後、環境問題を解決する理系人材になると決め、大学では金属資源のリサイクルに関する研究を行ってきました。しかし、優れた技術があるにも関わらず、社会実装が遅れている現状に危機感を覚えました。この課題を解決するためには、技術と社会をつなぐ架け橋になる役割が必要だと感じました。そこで、時代の変遷に商機を見出す商社というフィールドで、環境に調和した金属資源ビジネスを展開したいと強く思い、今の仕事に至ります。
「変化は自分から」を学んだ高校時代。
振り返ると、早稲渋は、自ら行動することで変化を生み出せるチャンスを多く与えてくれる、素晴らしい学校だったと感じています。シンガポールという異国の地で生き抜くために、学業、部活動、寮生活、国際交流イベントに励むことができ、非常に充実した毎日を送ることができました。日々が刺激に満ちていて、今でも変化を求め、自ら行動することの大切さを実感しています。早稲渋で過ごした日々に心から感謝しています。
こちらの写真は、鉱山の町として有名、またオーストラリアに本社を構える世界的な資源開発会社BHPの源流にもなった地「Broken hill」の亜鉛-鉛鉱山で撮影したものです。資源工学を学ぶ日本全国の学生から選抜され資源素材学会の海外研修に参加しました。非常に良い刺激を受けるとともに、現在に繋がる素晴らしい経験をすることができました。
2024.10.07法制度が異なる弁護士とのチームワークはシンガポールならでは。
加藤 史矩(2007年3月卒業・14期)
早稲田大学法学部からロースクールを経て、弁護士(日本・ニューヨーク州)に。シンガポールにある法律事務所に勤務。
シンガポールを中心にアジアで展開する日系企業の企業活動を、法的側面からサポート。
日系企業の活動を法的にサポート
現在私は、シンガポールに所在する日系の大手法律事務所で働いています。シンガポールを中心にアジアで展開する日系企業の企業活動を、法的側面からサポートしています。業務内容は多岐に渡りますが、アジア諸国に展開する日系企業が手掛ける不動産投資開発やM&A、訴訟・リスクマネジメント業務などに携わっています。文化・慣習、法制度が異なる各国の弁護士と連携しつつ案件を進めるのは、骨の折れることもありますが、まとまったときの達成感は大きいものがあります。
シンガポールでの高校時代を経て、今ここで働ける喜びを実感
高校時代は文武両道に憧れ、星蘭祭、体育祭、球技大会、百人一首大会、マラソン大会など、どの行事も全力で取り組みました。高校時代に培った経験、切磋琢磨し合った友人、根性論を叩き込んでくれた恩師のおかげで、今の自分の基礎が作り上げられたなと感じています。シンガポールで過ごした高校生活が充実していたからこそ、いつかは戻ってきて働きたいと考えていたこともあり、今シンガポールで働けることをとても嬉しく思っています。
2024.10.07ディレクターの醍醐味は「起点に自分がいること」
景山 潮(2008年3月卒業・15期)
東京大学工学部からNHK(日本放送協会)。ディレクターとして、Eテレで子供番組や多様性をテーマにした番組を制作。
世の中を驚かせる仕事がしたくて
ディレクターは「見てみたいなぁ」を“企画にする”仕事です。面白いと思ったことを、プロフェッショナルの手を借りて番組という形にしていきます。心に残るシーンを記録するカメラマン、現場を盛り上げる芸能人、話を組み立てる編集マン、音楽でグッと引き締める音響マン・・・等、1つの番組に数十人が関わることもあります。
「自分の番組で世の中を驚かせたい」そんな思いで私はディレクターになりましたが、実際には“自分ひとりで作る番組”は存在しません。けれども“自分の企画”はありました。『最初に自分がこの企画を書かなければ、この世に存在しなかった番組がある』というのが、ディレクターの醍醐味だと感じています。
学祭で思い知ったチームの本気(マジ)
早生渋時代、星蘭祭で企画した『忍者屋敷』は良い思い出です。吹き矢や謎解きなどミニゲームのアトラクションで、私はリーダーとして「人気投票で1位を取りたい」とクラスメイトに話していました。その時、誰かが「客に悔しい思いをさせてリピーターにする」という“身も蓋もない作戦”を生み出したのです。高難易度で初見殺しのゲームを用意し、制限時間を短くして回転率を上げ、ゲームの点数ランキングを掲示して射幸心を煽るという徹底っぷり。今思うとやりすぎたなぁと。チームでのめり込むことの楽しさと恐ろしさを知りました。
2024.10.07早生渋での経験が元になった「心躍る選択」というポリシー
須貝 京佳(2017年3月卒業・24期)
早稲田大学法学部へ進学。在学中、北京大学国際関係学院に留学しダブルディグリーを取得。卒業後、キリンホールディングス株式会社勤務。
世界中でブランドのファンを作るという仕事
現在私は、量販企業向けに「午後の紅茶」など飲料販売計画のご提案、企業の売上げアップを目指したご提案など、「キリンブランドのファンづくり」をしていく仕事をしております。自社商品を手に取ってくださるお客様を見るたびに、様々な方に商品を届ける喜びを感じられる仕事です。
シンガポールや大学で中国留学を経験した中で、自分が行ったことがない所でも、日本メーカーの商品を手に取れることに感動し、世界中に自分の携わった商品を届けたい、日本の商品を広げたいと思うようになり、今の仕事が拓けました。
好奇心を抱く方へと全力で進み続ける
社会人となった今も、“心が躍る選択をするところ”は、早生渋で高校時代を過ごしたときに培った自身の長所だと感じております。海外での寮生活、アルティメットフリスビー部での部活動、国際交流委員会を通じてシンガポール現地学生と交流できたことなど、どれを切り取っても刺激的でワクワクする体験ばかり!慣れない苦労もありましたが、周りの方のサポートもあり、シンガポールで自らが好奇心を抱く方へと全力で進み続けることができました。この経験が、今でも私自身の原動力になっています。
2024.10.07日本の魅力を海外に発信する一助に。
中口 理菜(2015年3月卒業・22期)
早稲田大学スポーツ科学部に進学。卒業後、全日本空輸株式会社。現在日本貿易振興機構(JETRO)に出向中。
夢は日本と海外の架け橋
現在の職場では、日本の食/食文化の海外向けプロモーションや、ライフスタイル分野(デザイン・日用品、化粧品、ファッション等)を扱う日系企業の海外展開支援を行っています。幼少期からの海外生活や、国際的な環境で働く父の姿に影響を受け、将来は海外との関わりが深い環境で、人や文化、技術を通して日本と海外を繋ぐ仕事に就きたいと思っていたため、日本の魅力を海外に発信する一助を担うという今の仕事に、大きなやりがいを感じています。なかでも昨年は、日本の食文化をシンガポールの若者に伝えるイベントを、母校早稲渋で開催することができ、社会人となった今、仕事で早稲渋と関わりを持てたことは大変光栄でした。
多様な文化や考えに触れた早生渋での日々
早稲渋での3年間は、私の人生の中で最も刺激的で充実していた期間といっても過言ではありません。体育祭や星蘭祭、部活動での思い出も沢山ありますが、なかでも異文化交流行事で多様な文化や考えに触れることができたのは大変貴重な経験でした。毎日が楽しく、刺激的で充実していた早稲渋での日々は永遠に私の宝物です。